日本に「立憲主義」は根づいたのか

 憲法の最もポピュラーな体系書である芦部信喜憲法』(岩波書店)が、今年2月に改訂されました。補訂者である高橋和之先生(東大名誉教授)による「第7版はしがき」には、かなり踏み込んだ記述があり驚きました。

 第1は、最晩年の芦部が、憲法9条解釈として「政治的マニフェスト」説への変更を考えていたかもしれない(『芦部信喜先生記念講演録と日本国憲法信山社、2017年)、という指摘です。政治的マニフェスト説とは、高柳賢三(東大名誉教授)が提唱したもので、憲法9条は法的拘束力のある規範ではなく、平和への意志を対外的に表したものとする学説です。この学説は、自衛隊違憲論が主流である憲法学界では一貫して退けられてきました。

 しかし、憲法学界のメインストリームであった芦部が政治的マニフェスト説への転向を検討していたとなると一大事です。もっとも、その後の芦部が論稿として公表していないことや体系書の記述を変更していないことから、結局、政治的マニフェスト説を支持するまでの得心には至らなかったのではないか、というのが高橋先生の見立てです。

 第2は、憲法9条問題が日本における立憲主義の最大の「アキレス腱」であった、という指摘です。憲法9条の平和主義は日本国憲法アイデンティティを成すと目される規定なので、それが立憲主義の「アキレス腱」であったというのは、これもまた大きな問題提起です。

 この問題提起の背後には、憲法9条憲法と現実との乖離をもたらしており、これにより「政治が憲法に従って行われる」という立憲主義が蝕まれてきた、という認識があります。ここには、憲法学界が理想を高調することには熱心な反面、現実を説明できる理論の構築を怠ってきたことへの非難と自戒の意味が込められているのでしょう。もし芦部が憲法9条自衛隊の矛盾の解決に悩んで末に政治的マニフェスト説を再検討していたのだとすれば、それは芦部の学問的な誠実さを表すエピソードとして、たいへん興味深いと思います。

 それにしても、日本国憲法の一丁目一番地とされてきた憲法9条立憲主義の定着を妨げてきたというのは、何とも皮肉なことです。「立憲主義を護れ」という呼びかけが「虚ろにしか響かない」のだとすれば、それには理由があったのです。