新型コロナ特措法の論点

 政府は、新型コロナウィルス問題に対処するために、新型インフルエンザ特措法を改正する意向のようです。

外出・集会制限、土地収用も 私権制限に根強い懸念―新型インフル特措法:時事ドットコム

 

 憲法との関係で特に問題となるのは、緊急事態宣言(正しくは「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」です。同宣言が発布されれば、学校や興行施設の使用が制限されたり、集会や催し物が中止されたりするなど国民の権利(基本的人権)の制限が行われるからです。

 以下では、今回の法改正にあたってどのような論点があるのかを、現行の新型インフルエンザ特措法の仕組みに照らして示してみたいと思います。

 

 現行の新型インフル特措法では、「新型インフルエンザ等(国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがあるものとして政令で定める要件に該当するものに限る。)が国内で発生し、その全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるものとして政令で定める要件に該当する事態」を「新型インフルエンザ等緊急事態」と定義し、当該事態が発生したときには、内閣に置かれる政府対策本部(内閣総理大臣が本部長)がその旨を公示し、同時に国会に報告することになっています。緊急事態宣言がなされると、2年を超えない期間において、外出や集会の制限などの緊急事態措置が講じられます。問題は、このような強力な措置が取られるのにふさわしい仕組みが、法律に備わっているかです。

 

1.緊急事態宣言は必要か?

 まず問題となるのは、「緊急事態宣言」という制度が必要かどうかですが、外出や集会の制限は平時においては許されない以上、それが例外的に許容される場合を期間や区域を区切って示す必要があります。ですので、平時にはできない措置を認めるのであれば緊急事態宣言は不可欠なのであり、実際、現行の新型インフル特措法でも認められています。

 

2.緊急事態宣言の手続は適切か?

 新型インフル特措法では、政府対策本部長(内閣総理大臣)が緊急事態宣言を行うことになっていますが、宣言の効果として自治体に一定の権限が発生し、また、国民の権利に大きな影響を及ぼすものである以上、本来は行政の最高責任者である内閣総理大臣が、閣議にかけたうえで宣言すべきだと思います。災害緊急事態(災害対策基本法)および原子力緊急事態原子力災害対策特別措置法)では、何れも内閣総理大臣が布告・宣言するものとされています。

 

3.緊急事態宣言に国会承認は不要なのか?

 新型インフル特措法では、政府対策本部長は緊急事態宣言を公示すると同時に、国会に報告することになっていますが、国会の関与がこのような事後報告でよいのかどうかは大きな論点です。

 一つの考え方は、緊急事態宣言がなされる以前に国会承認を得るというものです。権利制限が伴う緊急事態措置を政府に認めるにあたって国会の承認を要求するのは、民主主義の観点からは十分な理由があります。

 しかし、緊急を要したり、国会閉会中など、事前の国会承認を要求することが難しい場合も考えられます。そこで、最初の緊急事態宣言はひとまず政府だけで行い、事後に国会承認を求めるというやり方もあり得ます。この場合も、緊急事態宣言後、速やかに国会承認を要求するか、あるいは、国会閉会中の場合も考えて、1週間から10日後に国会承認を得るという方法もあるでしょう。

 またこのような国会の任務を果たさせるためには、国会閉会中に緊急事態宣言がなされる場合、内閣に国会の召集を義務づけるか、あるいは、国会が自動的に召集されるなどの仕組みが不可欠です。

 

4.緊急事態宣言の期間・延長

 新型インフル特措法では、緊急事態宣言の期間が2年を超えてはならないと定められていますが(しかも1年の延長が可能。)、これは1度の宣言の通用期間としては長すぎます。国民の権利制限をもたらすものである以上、もう少し丁寧な制度設計が望まれます。たとえば、1か月または2か月を終期として設定し、必要があれば再度の国会の承認で延長するという仕組みもあり得ます。このような仕組みだと、延長手続の際に、国会が緊急事態宣言下での政府の行為が妥当であったかどうかをチェックすることができるので、議会が政府を統制することが可能となります。

 

5.緊急事態宣言下で選挙はできるのか?

 国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがあるものとして緊急事態宣言がなされており、またその下の措置として外出や集会に制限がある中、衆議院の解散・総選挙をはじめとして各種選挙を実施できるのかも考えなければなりません。このうち、国政選挙については任期が憲法で定められているので、長期にわたる選挙の延期を法律で定めることは難しいでしょう(公職選挙法57条の繰延投票制度がありますが、同条は「天災その他避けることのできない事故」の場合を想定しており、感染症の場合に適用できるかどうかはわかりません。)。少なくとも、緊急事態宣言中の衆院解散は禁止されるべきですが、それには憲法改正が必要です。

 何れにせよ、緊急事態の期間として最長2年が想定されている以上、このような問題も考慮に入れる必要があると思います。 

 

 非常事態法制の要諦は、事態への対処のために政府に一時的に強力な権限を与えると同時に、それを統制する効果的な仕組みを備えることです。この観点から見ると、現行の新型インフル特措法では、国会の関与が弱いように思います。また、議会による政治的統制だけでなく、裁判所による法的統制も不可欠ですが、その実効性についてはあまり議論されていないように思います。

 

 最後に、すでに新型コロナウィルス問題への対応が求められている真っ只中での立法は望ましくなく、本来は、平時に十分な議論を尽くして立法されるべきだったでしょう。その意味では、改正法が成立したあとも、法制度に不備がないか不断に検討を続けていくべきだと考えます。

国会は自己変革できるのか?

 7月の参院選で2名の重度障害者が当選したことにより、参議院では早速、議場の整備やルールの変更が行われています。いきなり目に見える改革が行われており、上記2名の議員の当選にはとても大きな意義があると感じました。

 私自身は、比例代表選挙での「特定枠」という制度には、選挙制度の一貫性の観点から憲法上は問題があるという考えを抱いていますが、今回の選挙で(重度)障害者が全国民の代表たる国会議員になったことは良かったと思っています。

 このたびの上記2名の議員の当選は、れいわ新選組が「合区制」対策として導入された特定枠を効果的に利用したことで実現しましたが、次回参院選でも同じような手法をとる政党が出現すれば、特定枠制度は本来の趣旨を超えて、国会議員の構成に多様性をもたらす方向に作用していくかもしれません。もっともその場合でも、特定枠制度そのものに憲法上問題がないかどうかについて検討を要することに、変わりはありません(違憲訴訟も提起されているようです。)。

 また、新しく就任した山東昭子参議院議長は、国会開会時に行う首相の施政方針演説や所信表明演説など衆参両院で実施する演説を、衆参のどちらかに一本化にすることを提案しました。これには、外相、財務相などの演説も対象となっているようです。

参院議長、所信表明演説など衆参一本化を提案 :日本経済新聞

 考えてみれば、まったく同じ演説を衆参で別々に行う意味はほとんどなく、単なる時間と労力の無駄のような気がします。一方の院だけで行うと他方の院の権威を損なうという意見もありますが、それならば両院合同の会議というかたちをとればよいでしょう。現に国会開会式は、衆議院議長の主宰のもと、参議院本会議場において衆参両院の国会議員が集まって実施されています。

 開会式が1回で済むのならば、首相の演説も1回だけ行って、その後の代表質問は各院で行うという方法に変えることも可能なのではないでしょうか。もし重大な問題が生じれば、あらためて元に戻せばよいでしょう。もっとも、一本化することでどのような不都合が起こるのか考えもつきませんが…

 国会運営には様々な不合理さが残っています。今回新たな一歩を踏み出せるかどうか、国会は自己変革できるのかが問われます。

 

 

改憲勢力「3分の2」に意味はあるのか?

 ここ最近の選挙では、改憲勢力が「3分の2」以上の議席を得たかどうかに注目が集まります。今回の参院選でも、与党が「過半数」の議席を獲得したことよりも、「3分の2」に達しなかったことが殊更に強調されています。

 しかし、「3分の2」を問題とすることにあまり意味はないでしょう。そもそも改憲の中身を見なければ、改憲に賛成か反対かの態度を決めることはできないはずです。

 さらにいえば、そもそも「3分の2」という数字にも、意味があるわけではありません。改憲案の国会発議に3分の2以上の国会議員の賛成が必要とされているのは、憲法改正がその時々の与党・多数派だけではなく、野党や少数派からの賛同も得て実現するのが望ましいからです。「3分の2」という数字に憲法理論上の根拠はありません。「3分の2」ではなく、他国に見られる「5分の3」や「55%」という数字ではなぜダメなのかを理論的に説明することは不可能です。むしろ日本国憲法が施行から70年以上一度も改正されていないという事実からは、「3分の2」という初期設定が非現実的なものだったというのが素直な捉え方です。

 「3分の2」を問題とする思考は、「3分の1」以上を確保した野党・少数派は「改憲を阻止できる」という考えと裏腹です。事実、今回の参院選の結果を受けて、「改憲困難」という評価をしているメディアもありました。

 しかし、「3分の1」の反対で改憲が阻止できるということは、少数派に「拒否権」を認めることです。憲法改正は最終的には国民投票で決められるので、国会少数派の拒否権行使は、主権者である国民に意思を問うことじたいを阻止するもので、「国民主権」という憲法原理と緊張関係にあります。3分の1確保(3分の2阻止)だけを選挙の目標とし、拒否権行使をちらつかせるような態度は、憲法を尊重するものとは言えないでしょう。

 制度論としては、国会での過半数の賛成で改憲案を発議して、国民投票で決するというのが合理的な改憲手続であるように思います。

参議院の存在理由

 参院選の投開票日が週末に迫って来ました。今回の参院選はとくに不思議な選挙です。というのも、選挙制度が複雑なので、選挙によっていかなる民意が示されたのかを理解することが不可能だからです。

 まず選挙区選挙ですが、各選挙区で1名だけ当選する「1人区」と2名以上が当選する「複数区」があります。「1人区」というのは衆院選と同じ小選挙区制で選挙区内の多数派の意思を代表させる「多数代表法」という考え方に基づいています。一方「複数区」は第2位以下の候補者も当選できる「中選挙区制」ですが、これは選挙区内の多数派だけでなく少数派にも議席を与えようとする「少数代表法」に基づく選挙制度です。つまり、参院選では「小選挙区制」と「中選挙区制」という考え方のまったく異なる選挙原理が組み合わされています。これに加えて、比例代表法(社会の多様な意見をそのまま議会に反映させるという考え方)に基づく比例代表選挙が行われているので、参院選では、3つの考え方の異なる選挙原理が混ざっていることになります。これでは、選挙においていかなる民意を問うのかがわかりづらく、また選挙結果を理解することも困難です。

 さらに、選挙区選挙では都道府県制が原則とされているにもかかわらず、2016年参院選から2つの県をあわせて1つの選挙区とする「合区」が導入され(鳥取と島根、高知と徳島)、都道府県単位で選挙区を区切る必要性もなくなっています。また比例代表選挙でも、今回の参院選では順位2位まで「特定枠」として指定することができ、「非拘束名簿式」比例代表制に例外が設けられています。

 以上からわかるように、参院選ではいかなる民意を問うのかまったくわからない制度になってしまっています。このような一貫性のない選挙制度では、参院選を実施する意味がわからないだけでなく、意味の分からない選挙で選ばれた議員からなる参議院の存在理由をも疑わせます。

 「合区制」「特定枠」という異例の選挙制度で選挙が行われたことは、いまとなっては仕方ありませんが、それは抜本的な参院選挙制度改革までの暫定的なものであることを忘れてはならないでしょう。次回の参院選では「合区制」や「特定枠」で選挙が行われることがないように、今回の選挙後、国会は憲法改正も含めた参院改革に直ちに着手すべきでしょう。

 また選挙後には「一票の較差訴訟」が提起されると思います。もっとも、今回は最大較差が3倍未満なので従来の判例に照らせば違憲にはならないでしょう。しかし、「選挙制度の首尾一貫性の欠如」も民主主義の根幹に関わる重要な憲法問題です。最高裁は何らの合理的な理由もない「特定枠」について、きちんと違憲と判断できるのか。注目していきたいです。

大統領がツイッターでブロックすれば憲法違反になるか?

 先日、アメリカの裁判所で面白い判決が出ました。事案は、トランプ大統領からツイッターでブロックされた人たちが、大統領によるブロックは憲法違反であるとして訴訟を提起したというものです。連邦控訴裁判所(日本の高裁に相当)は7月9日、大統領がツイッターで自らに批判的な意見を書き込むアカウントをブロックしたことは、表現の自由を侵害するため憲法違反であると判断しました。同じ判断は、昨年5月に連邦地方裁判所でもすでになされていたようです。https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1907/11/news051.html

 一般に、憲法違反の対象となるのは「公権力の行使」です。ツイッターでの書き込みやブロックは普通は公権力の行使ではないので、それが公務員によるものであっても憲法違反かどうかが問題となることは考えられません。

 しかし、連邦控訴裁判所は、「〔表現の自由を規定する〕合衆国憲法修正第1条は、ソーシャルメディアを使用する公務員が公開のオンライン上の対話から自らと異なる見解を表明した人を排除することを認めていない」と述べました。つまり、公務員がSNSを利用して意見を発信したりする場合には、それに対する批判も受けなければならず、批判が気に入らないからと言ってブロックしてはいけないということです。

 もちろん、ホワイトハウスは、大統領のツイッターは私的利用なものなので、ブロックしても表現の自由を侵害にはならず、控訴裁判所の判決には「失望した」とのコメントを発表しています。

 この事例をどのように考えるかは悩ましい問題です。判決によれば、ホワイトハウスツイッターを公務遂行の手段として利用しており、大統領の公式声明と見ることができるとされました。実際、トランプ大統領のツイートは、国立公文書館で保存されているようです。6000万人を超えるフォロワーがいることを考えると、トランプ大統領ツイッターにはとてつもない社会的影響力があると言えるでしょう。また、先日の大阪でのG20サミット後の突然の北朝鮮訪問がツイッターによる呼びかけで実現したことを考えると、トランプ大統領ツイッターが私的利用と言えるかどうかも微妙なところです。

 控訴裁判所の考えは、大統領のツイートに公的な要素があるのであれば、批判も受けなければならないということなのだと思います。つまり、公権力による言論は一方的な言いっ放しではいけないということでしょう。大統領は自らへの批判に対しては更なる言論(more speech)で対抗しなければならず、批判を遮断するブロックはダメだということです。

 このようなアメリカの裁判所の判断は、表現の自由の機能に敏感な態度を示していると思います。安倍首相もツイッターで発信していますが、批判アカウントをブロックしたとき、日本の裁判所は憲法違反と判断する(できる)のでしょうか。

 当該判決はまた、インターネット時代での表現の自由や民主主義のあり方を示す点でも斬新です。それにしても、インターネットなど夢にも想像していなかった200年前に制定された憲法から、ツイッターの事件で意味ある解答を引き出したアメリカの裁判所の積極主義には、ただただ驚くばかりです。

モラハラ罪は可能か?

 近年、日本でも職場や夫婦間でのモラル・ハラスメント(モラハラ)の問題が認識されるようになっています。モラハラは、身体に対する暴力とは違い、言動による他人への嫌がらせです。職場でのモラハラは民事責任に問われることがありますが、しかし現在の日本では、モラハラそれじたいを刑事法上の犯罪として処罰するまでには至っていません。

 これに対してフランスでは、モラル・ハラスメントを犯罪として規定しており(モラハラ罪)、その対象範囲も拡大してきています。まず職場での従業員に対するモラハラが犯罪として規定され(2年以下の拘禁・3万ユーロ以下の罰金)、次いで(元)配偶者間またはパートナー間でのモラハラ罪が設けられました(3年以下の拘禁・4万5千ユーロ以下の罰金)。現在ではより一般的に、他人の心身の健康に変調をきたし生活の質を低下させるような言動を繰り返し行うことが、犯罪とされるに至っています(1年以下の拘禁・1万5千ユーロ以下の罰金)。

 しかし、物理的な暴力とは異なり、人の言動を「精神的な暴力」として犯罪とすることには問題もあります。心身の健康に変調を来した原因が、本当に他人の言動にあると言えるのかの判断は難しいでしょう。モラハラ罪の成立要件をあいまいにすれば、モラハラを広く処罰することはできますが、その反面、処罰範囲の拡大にもつながりかねません。実際、フランスでもモラハラ罪の成立要件は漠然としているという批判があります。日本でもモラハラ罪を新設するのであれば、それが処罰範囲を適切に画定できることが要求されるでしょう。

 元夫婦間でのモラハラ罪の成否について、最近、フランス最高裁である破毀裁判所は、興味深い判断を示しました。

 事案は、元夫が元妻の職場の同僚に夫婦間の係争に関わる文書を送り付けたこと、さらに娘の友人たちにSNSなどで家族の紛争についてメッセージを送ったことがモラハラ罪に問われた、というものです。元妻との関係では配偶者間モラハラ罪が、娘との関係では一般モラハラ罪の成否が問題となりました。

 日本の高裁に相当する控訴裁判所はいずれのモラハラ罪の成立を認めましたが、破毀裁判所は認めませんでした。その理由は、第一に、元夫の行為に「反復性」がなかったことです。モラハラ罪では、嫌がらせ行為が「繰り返し」行われたことが構成要件となっていますが、この事案では元夫が元妻の同僚に文書を送り付けたのは1回だけでした。1回の言動で「心身の健康に変調をきたし生活の質を低下させる」ことは考え難いので、時間の経過を要求する意味でもこの「反復性」要件は不可欠でしょう。破毀裁判所は条文を文字通りに適用しました。

 第二に、元夫の行為と娘の健康状態の変調との間には因果関係が認められないとされました。元夫の行為は、娘に対してではなく、その友人たちに向けられていたので、娘に対する直接的な行為ではないと評価されています。身体への暴力と比較して考えると、「直接性」要件を要求することも不当とまでは言えないでしょう。

 刑罰は謙抑的に用いられるべきである以上、「反復性」「直接性」など処罰範囲を画定する要件の設定は必要でしょう。今後日本でモラハラ罪の導入が検討されるとき、先行して導入したフランスの法律や運用は参考になるかもしれません。

参院選2019

 2019年の参院選が始まりました。参院選は政権選択の選挙ではないと言われていますが、参議院過半数を割ると法律が国会を通らないので、選挙結果は政権の命運を左右します。実際これまでにも、参院選の敗北によって退陣に追い込まれた内閣はいくつかありました。「ねじれ国会」においては参議院の意向が最終的な意味をもつため、「強すぎる参議院」という問題が生じていることも、いまでは広く知られています。

 その反面、参議院議員選挙の仕組みは混迷を極めています。参院選では、都道府県を単位とする「選挙区選挙」と全国を一つの単位とする「比例代表選挙」の2つがありますが、これらはまったく違う代表原理に基づいています。比例代表選挙は「比例代表法」という考え方に基づくもので、社会の意見の違いをそのまま議席に反映させようとするものです。一方、選挙区選挙については、定数が2名以上の複数人区では中選挙区制(少数代表法)、定数が1名の1人区では小選挙区制(多数代表法)がとられており、代表原理が全然異なる2つの制度が混在しているという状況です。これに先の比例代表制を加えると、参院選では3つの異なる代表原理(およびその選挙制度)が混ざっているため、いったい選挙でいかなる民意が示されたのかを判定することは困難です。

 また、前回2016年選挙では選挙区選挙で「合区制」が、今回2019年選挙では比例代表選挙で「特別枠」が導入されており、もはや何でもありという感じです。合区制が導入された以上、もはや都道府県制という理念も消滅してしまいました。これらの新たな制度は、都道府県制という選挙区選挙の理念や、「非拘束名簿式」比例代表制という考えの例外を認めるものであるため、参議院選挙制度は全体として一貫性のないものになっています。

 このような「いびつな」選挙制度になったのは、最高裁が投票価値の平等を厳しく求めたからだ、という見方もあります。たしかに、合区制はその最初の措置で、その手当のために特別枠ができたといえます。おかげで、今回の選挙では一票の較差が3倍を切るようです。

 しかし根本的な原因は、国会が憲法改正を回避して、その都度の弥縫策で凌いできたことです。たとえば、参議院の構成原理が憲法で「地域代表」とされれば、一票の較差をそれほど気にせずに、都道府県制を維持することは可能だったでしょう。最高裁はずっと以前から、都道府県制に憲法上の根拠はなく、平等原則(憲法14条)を破ることはできないという立場を示してきました。これは、最高裁が発したSOSだったのですが、国会はそのサインを無視し続けました。おかげで、これほどまで複雑でいびつな選挙制度になってしまいました。

 唯一のプラス要素は、昨年成立した候補者男女均等法によって、女性候補者が増えたことでしょう。ただそれも政党の努力義務にとどまっており、まだまだ道半ばというところでしょうか。フランスは憲法改正で男女半々(パリテ)原則を取り入れたため、法的強制力をもって女性候補者数を半数確保しようとしています。2017年下院選挙では女性議員が約39%を占めるようになったほか、地方議員では女性の割合はほぼ50%になっています。これも憲法改正の効果です。

 参院選の投開票は21日ですが、この選挙で示される「民意」とは何なのでしょうか。不合理で一貫性のない選挙制度のもとで現れる「民意」とは何なのでしょうか。選挙は民主主義のイロハなのに、選挙制度自体が合理的でないというのは残念というだけではすまされず、日本の民主主義にとってとても不幸なことだというべきでしょう。