国会は自己変革できるのか?

 7月の参院選で2名の重度障害者が当選したことにより、参議院では早速、議場の整備やルールの変更が行われています。いきなり目に見える改革が行われており、上記2名の議員の当選にはとても大きな意義があると感じました。

 私自身は、比例代表選挙での「特定枠」という制度には、選挙制度の一貫性の観点から憲法上は問題があるという考えを抱いていますが、今回の選挙で(重度)障害者が全国民の代表たる国会議員になったことは良かったと思っています。

 このたびの上記2名の議員の当選は、れいわ新選組が「合区制」対策として導入された特定枠を効果的に利用したことで実現しましたが、次回参院選でも同じような手法をとる政党が出現すれば、特定枠制度は本来の趣旨を超えて、国会議員の構成に多様性をもたらす方向に作用していくかもしれません。もっともその場合でも、特定枠制度そのものに憲法上問題がないかどうかについて検討を要することに、変わりはありません(違憲訴訟も提起されているようです。)。

 また、新しく就任した山東昭子参議院議長は、国会開会時に行う首相の施政方針演説や所信表明演説など衆参両院で実施する演説を、衆参のどちらかに一本化にすることを提案しました。これには、外相、財務相などの演説も対象となっているようです。

参院議長、所信表明演説など衆参一本化を提案 :日本経済新聞

 考えてみれば、まったく同じ演説を衆参で別々に行う意味はほとんどなく、単なる時間と労力の無駄のような気がします。一方の院だけで行うと他方の院の権威を損なうという意見もありますが、それならば両院合同の会議というかたちをとればよいでしょう。現に国会開会式は、衆議院議長の主宰のもと、参議院本会議場において衆参両院の国会議員が集まって実施されています。

 開会式が1回で済むのならば、首相の演説も1回だけ行って、その後の代表質問は各院で行うという方法に変えることも可能なのではないでしょうか。もし重大な問題が生じれば、あらためて元に戻せばよいでしょう。もっとも、一本化することでどのような不都合が起こるのか考えもつきませんが…

 国会運営には様々な不合理さが残っています。今回新たな一歩を踏み出せるかどうか、国会は自己変革できるのかが問われます。