立憲主義という企て

 井上達夫立憲主義という企て』(東京大学出版会)が公刊されました。本書の約3分の1を占める憲法9条論はこれまでの憲法学に対する根源的な批判であり、今後憲法学はこれに応答することが求められるでしょう。

 井上先生の批判は、立憲主義を理解しようとしない政権与党にも向けられますが、それ以上に、自らの政治的選好を実現するために立憲主義を蹂躙する野党や護憲派に対して向けられています。

 井上先生はかなり以前から「9条削除論」を唱えていました。戦力不保持を憲法で定めている国などないので、普通に考えるとそうなるのですが、リベラルで、天皇制廃止論者である井上先生がまさか戦後憲法アイデンティティである9条の削除を提唱するとは当時思ってもいませんでした。

 「9条削除論」の主張は極めてシンプルで、戦力の保持を正面から認めた上で憲法的統制下に置く、というものです。現在は、憲法9条によって憲法上は戦力は存在しない建前になっているので、それに憲法的統制を及ぼすことはできません。こうした問題意識から、9条削除論は、単に憲法9条を削除するだけでなく、同時に国会承認手続、最高指揮官条項、軍事裁判機関などの戦力統制規範を憲法に整備せよという主張も含んでいます。

 これまで憲法学は9条削除論を完全に無視してきました。それは憲法学者の多くが、9条は「非武装」を求めているので自衛隊憲法9条に違反する、という考え方に立っていたからです。自衛隊憲法9条違反というのなら、その即時解体まで主張するのが一貫した立場なのですが、今日の自衛隊違憲論は自衛隊違憲の烙印を押し続けることによって、その正統化や肥大化を阻止するという戦略に転換しています。しかしこれは政治運動論であり、憲法論としての資格をもちません。こうした議論でもいまだ「憲法論」としてまかり通ってしまうところに、日本憲法学の未熟さがあるでしょう。

 井上先生にとって、憲法学が理論も理屈もない自らの政治的選好をむき出しにしたご都合主義に見えるのは仕方ないと思います。本書では有名な憲法学者が次々に俎上に乗せられ、彼らの欺瞞が容赦なく暴かれています。とくに東大の同僚や元同僚であった憲法学者に対しても温情なく批判の矢を向けていることは誠実な態度だと思いました。井上先生に批判された者たちは、学問的にきちんと反論しないかぎり、自説の非を認めたことになると思います。

 とくに井上先生が問題視しているのが憲法学者の知的誠実性です。2015年の安保法制論議の時、それまで自衛隊違憲論を唱えていた論者たちが、集団的自衛権で団結するために自衛隊合憲論に転じたことを厳しく批判しています。政府や内閣法制局の解釈変更を批判しておきながら、自らはこっそり学説変更を行うのは無節操としかいいようがありません。それが学問的吟味の上でなされたのならともかく、自らの政治的選好を実現するためなので、本来許されるものではないでしょう。そういう憲法学者の行動が憲法学に対する信用を落とすだけでなく、ひいては憲法論や立憲主義論への信頼を貶めているとすれば、本当に罪深いと思います。